別府は戦災にあっていないので路地裏がたくさん残る。なかでも駅周辺エリア、商業地区の路地裏はなんでもあり?無国籍的な形相を醸すのだ。 この画像の場所は、まさにそのど真ん中である。 ある日、このエリア内で、ふと視線を感じ辺りを見回したが、思い当る人間や動物はいない。 不思議に思い路地裏から狭い空を見上げようとした瞬間、妙なものを目が感知したのだ。もう一度、見上げる動作を繰り返す。その途中、違和感のある部位があり注意深く見つめると、ガラスを割って目だけを光らせている怪しい「お父様」...いや路地裏監視人がこちらを睨んでいたのであった。 窓枠桟木ギリギリにで目を配置して、より陰湿に視線を決め込むその姿に物の怪を感じた。アキ・カウリスマキの映画に似合いそうなカラートーン、顔つきである(笑) 夜中に懐中電灯で発見すれば路地裏ホラーに一変するであろう ![]() ポンテ・ヴェッキオからサンタ・マリア・ノヴェッラ駅の間の目抜き通り周辺は整い過ぎたまちなみである。ローマとは違い建物に色気がないと感じた。 最近の建築家がシンプルにセンス良くクラシック調に仕立て直した建物たちとでも言おうか、なんだかスクエアーにきれいに纏まり過ぎて色気がないのである。 当然、サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂などの超ド級歴史的建造物も点在するが全般的に見た感じである。一番残念に思ったのはブテック街の歴史的建造物たちである。 法律的に規制が緩いのかその一階部分は、世界の超一流ブランド店の出店地獄だった。 ![]() フェラーリ・ストアも施工中であり、ヴィトン、フェラガモ、ボッテガヴェネタ、プラダ、ブルガリ、グッチ、アルマーニ、ドルチェ&ガバーナ、ヴェルサーチ...etc セレブオシャレ激戦区で別に東京のセレブ買いもの通りと同じある。 しかしがである、素晴らしい歴史的建造物をこんなに手を入れていいのであろうか? ![]() イタリア文化とは歴史の積み重ね、それこそがイタリア人や自国のアイデンティティーや価値であるわけである。整い過ぎた違和感通りを歩き、無性に残念に思った。しかし当時を忍べば芸術の粋を結集して造り、建築家たちが贅肉をそぎ落として造ったエッジの効いたハイセンスなまちであったのであろうことには間違いない。 だがルチアーノのグローブは欲しかった。宿泊先の極近所であったのだ。 地味で小さな構えだがクオリティーを誇る伝統店はこれでよろしい。後から無念に思った。 ![]() こじんまりとしているが活気ある商店街通り(アメリカ人や日本人が好む高級ブティック通りではない通り)に面して教会があった。右画像はその通りから横に伸びていた路地→ 入り口付近に人が割と多く立っており内部からは歌声が漏れていた。 急激に興味がわき教会の扉を開けて中に入ってみると子供たちの聖歌合唱の練習中であった。 フィオレンティーノにとっては日常的な活動なのであろうが遠い東の国から来た人間にとっては実に新鮮であった。暗闇の厳粛なる大空間に響き渡る歌声は、やっぱり映画の中の一コマみたいである。 ![]() 雨上がりのフィレンツェ路地裏散策である。我がまちで敢行している感じと何ら変わらない姿勢である。薄暗い路地裏には窪んだ石畳に雨水が溜りWESCO(ブーツ)やパンツの裾を濡らし疫病にかかりそうな気配がした。 薄暗いトンネル路地もそれをさらに煽る。時たま大通りに突き抜けたりする。 そうそう、大通りの話ついでに駅からホテルまでの目抜き通りは「ここは銀座?」とか思い少し残念な気がしていた。 ![]() しかし、ひとたび路地裏に入り込めば、イタリア文化が口を開けて待っていてくれたのだ。あまりにも有り過ぎるのであるがアンギアーリのように、こじんまりとはしていなくビルディング(歴史的建造物)の谷間に張り巡らせてある格好だ。 そして生まれて初めての場所にも関わらずズケズケ入り込んでいく自分は好奇心の塊なのであろう。 映画を見ているような錯覚にも襲われるが、これは現実なのだ。 ![]() 路地裏には地元のフィレンツェ市民も、ほぼ見かけなく、ましてや観光客なども居るはずもなく、ただそこには「敢行客」がいるだけであった。 ![]() はじめに。全くのご無沙汰であり大変申し訳ないと思う。今年はmixi復活やらで当ブログは置き去りになった。キーボードもFILCO青軸に変わった。まるでタイプライターで打ち込む様な音がする。それに伴い文体も少々変化してしまっていることご容赦願いたい。 そろそろで3年越し(あと約4.5ヶ月)とにかく早く帰国しなければと思う ![]() さて、ようやくフィレンツェ入りである。 サンタ・マリア・ノヴェッラ駅:Stazione di Santa Maria Novellaに降り立ったのは小雨降るどんよりした日であった。 ローマのテルミニ駅とピンボールをしているようかのような列車止め装置が付いているのが面白かった。 それもそのはずボローニャ~フィレンツェ線の南側の終点であり、フィレンツェ~ローマ線の北側の終点でもあるのだ。 駅を出てすぐにタクシーに乗り宿泊先へひとまず直行、アルノ川に掛かる有名なヴェッキオ橋:ポンテ・ヴェッキオ:Ponte Vecchioの袂にあるホテルでフィレンツェの賑いを堪能できる位置でもある。 ![]() 部屋からはトスカーナ、この街のイメージカラー赤茶色の屋根ばかりが目の中に飛び込んでくる。下を見れは薄暗い路地裏であり、隣の建物の窓の中から職人が何やら作品制作に精を出しているのが伺えられた。 部屋の調度品、家具はアンティークで構成され気分も昂ぶり、取り敢えずフィレンツェ散策へと繰り出してみた。夕方に近い時間であったと思う。 フィレンツェは古代にエトルリア人注1)によって町として建設された。カエサルによって入植者への土地貸与が行われ、ローマ殖民都市が建設されたことによる。中世には一時神聖ローマ帝国皇帝が支配した。後に中小貴族や商人からなる支配体制が発展し自治都市となった。商人と職人が強力な同業者組合を組織し毛織物業を中心とする製造業と金融業で、フィレンツェはトスカーナの中心都市、そしてトスカーナの大部分を支配したフィレンツェ共和国の首都になる。 ![]() 有名な メディチ家は金融業などで活躍し、政治の指導者となりフィレンツェを美しい都市にする事業に着手した。コジモ・デ・メディチで始まり、その子ピエロ、そして孫のロレンツォの時代には、フィレンツェはルネサンスの中心として黄金時代を迎える。彼はロレンツォ・イル・マニーフィコ(偉大なるロレンツォ)と称された。 ロレンツォの野心的な外交政策で、フィレンツェは一時的にイタリア諸国家間の勢力の均衡をたもたせることなり建築、絵画、彫刻におけるルネサンス注2)芸術は、15世紀に大きく開花し、ボッティチェッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活躍するルネサンス文化の中心地となって学問・芸術の大輪の花が開いたのである。 注1)エトルリア人:イタリア半島中部の先住民族。 インド・ヨーロッパ語族に属さないエトルリア語を使用していたが徐々に古代ローマ人と同化し消滅した。初期のローマ人はエトルリアの高度な文化を模倣したとされ、ローマ建築に特徴的なアーチもエトルリア文化の特徴といわれ初期の王制ローマの王はエトルリア人であったとも言われている。 注2)ルネサンス:Renaissance フランス語、直訳すると「再生」、一義的には、14世紀~ 16世紀にイタリアを中心とするヨーロッパ各地で興った古典古代の文化を復興しようとする運動を指す。また、これらが興った時代(14世紀~16世紀)を指すこともある。 坂道の途中にある穴倉風なおしゃれな郵便局です。局内は薄暗いのですが、こと足ります。古い切手を見せてもらおうとしたのですが新しい記念切手ばかりでした。 最近のDUCATI(ドゥカティ)などのモーターサイクルのレース優勝記念切手なんかは欲しくないものね。 ヴィンテージスタンプストア(antico francobollo negozioとでも言うのでしょうか? フィレンツェには路地裏にあったけど...場所柄、高級ブティックみたいでした)じゃないんですから結局買わずにGrazie...!でした。そして、ふと天井を見上げると、これがオシャレなデザインなんですね。 流石ですね!デザインは単純明快なのですが視覚的効果が素晴しいです。 IMPOSTAZIONE:インポスタッツィオーネ:投函 という意味です。古い外壁に後付け施工されていましたが金属の鈍い光具合がとってもかっこいいですね。 看板ならぬ犬板です。ごみ?犬の糞の後始末を促す、まちの看板なのですが、この狭いエリア一帯に偏って設置されています。 推測するにその地区の画伯(自治会長さん?...笑)が書いたものらしき脱力感あふれるファニー、ユニークな画風ですが添えられた吹き出し「頼むよ」が心に染み入ります。 人間にも「頼むよ」と言いたい方々が大勢いらっしゃいますね(笑)。 その昔、我が家にはコリー犬を飼っていました。親犬はアメリカンチャンピオンで父の友人(当時国際線パイロット)からお土産?で貰い受けたと聞かされています。 当時の我が家は彼からのアメリカみやげが沢山あったと記憶しています。 部屋の隅に積み上げられたライフ誌の記憶があります。 その名はメリーとつけました。大きな犬小屋を作らなければいけないほどバカでかく育ち、そのうち糞の始末、大量の毛の始末にも、てこずり始めました。 今思い出せばフェンスつきの動物園のミニチュア版みたいな犬小屋でした。 しかし飼い主の身勝手、不手際から...こんなうちに貰われて来なければ、彼女は幸せな人生を送れたのであろうと今でも悔やまれて仕方がありません。 この記事を書いている最中に走馬灯のように当時のメリーのことを思い出したのでした。 建具や家具のレスタウロ屋、店内は年季の入った工具が壁に掛けられ非常に良い感じです。現在は玄関戸を修繕(復元中)みたいですね。イタリアの小さな村や町、またはフィレンツェのような古都には、建築またはそれに付随する電気設備系(例えば照明器具類)や給排水衛生設備系のレスタウロ屋がたくさんあります。(例えばフィレンツェの路地裏などは僕にとっては、お宝通り!) 町並みや歴史的建造物(といっても、このようなところは全てが歴史的建造物ですが...)の保全など、村まるごと中世そのままに保つことができるカラクリはココにあるのです。 ![]() 三重丸の大安心ですね。 レスタウロ:イタリアにおける建築、美術、文化財の保存・修復の技法や実践的な手法。 保存や修復という意味に加え、それらを創造的に実用化していくという意味も込められ、イタリアとレスタウロはとても深い関係にあります。 そして、イタリアの文化とは歴史の積み重ねであり、それこそがイタリア人、イタリア社会のアイデンティティーであり"価値"であるのです。 ![]() イタリアは実に猫がよく似合う国、特に中世の丘上都市(村)のアンギアーリには似合い過ぎるのです。お互いがベストアクセサリーとして不動の地位を築いている感もあります。ディズニーらしからぬ、「おしゃれキャット」さんもいらっしゃいます(笑)あなた、ピンクがとってもお似合いですよ。 兎にも角にもこんなところで暮らせるガット(Gatto:猫)たちは羨ましい限りです。 全く関係ないですが、スタッフやエリック・クラプトンお気に入りのドラマーはガッド(Gadd:スティーブ・ガッド)です。Mi scusi! ![]() ![]() キミはそろそろ昼寝なのでしょうね。。僕も木陰で風に吹かれて眠りたいですが、シータに乗ってアレッツォに戻らなくてはなりません。そうそう...やさしいお姉さんが居たバールに寄ってエスプレッソを飲んで帰ろうっと。 それとタイトルに猫殿と書いていますが...長谷川平蔵の料理番ではありませんので悪しからず(笑)。 アンギアーリにも、なんと建築家がいるのです!レスタウロ系の設計事務所と思われます。残念ながら不在のようでしたので、遥々日本からやってきた同職者(僕)の名刺をドアに貼り付けておきました(当然塗装傷めないマステです)。![]() そうそう...イタリアの古いドアは骨董・アンティークがお好きな方には、まさに媚薬・シビレ薬なのです(笑)。見入るほどに、とてもいい感じです。 古い建物と同等以上の価値、趣きがあります。 間違ってもどこかの国のように木製風の「器用」なAluminum-sashではございません。黒ずんだブラス製の鋲が効いていますね! ![]() 有効幅はおよそ1200mm位の路地の坂道です。陰影が冴え人通りも無く貸しきり状態で結構な長さがありました。勾配がきつく、ぐにゃぐにゃな細い鋼製手すりが壁に打ち込んでありますが、黒錆状態でいい感じです。 青空の下テクテクとアンギアーリの住宅の屋根を眺めながら下っていきましたが路地を風が抜けていき気持ちの良い昼下がりです。 肩の力が抜けて何となくわが育ちのまちの路地坂とほんの少し重なって心身共にこのまちに溶け込むのでした。 ![]() 何にしてもミニチュアサイズは落ち着きますね。気分を良くして歩いていると...どこの国にも怪しからぬ輩がいるもの、わざわざ人通りの著しく少ない路地塀の石材を動かしポテチ?クッキーの袋を捨てています(笑)。 いや、ここはネコの多いところ、ひょっとしたらネコの餌を隠している?ストックしてあるのでしょうか? ![]() しかし塀の上はネコが歩けないようにガラスビンを砕いたバリアーを施してあるのです。これもわが町の古い塀で良く見かけます。 *画像はいかにもイタリアらしい最後の出口辺りをメインにしておりますが僕が感じたのは中盤辺りの地味な情景です(笑)。 ![]() アンギアーリのエンスージアスト、その名前はブルーノです。モーターサイクルは2ストロークの古い、モト・モリーニ(motori・morini・franco)!骨董市?で買ってきて、これから自宅のガレージにてレストアするのだそうです。片言の英語交じりのイタリア語を駆使しながらコミュニケーションをとりました。完成するとレースバイクのようにビュ~ンと飛んでいくのだとフルスロットルのジェスチャー付きの豪語をかましてくれました(笑)。それにしても、こんな中世のまち、住宅に住んで、のどかな風景を眺めながら人生を楽しむその姿が羨ましくため息がでるばかりでした。ブルーノじいさん、もう仕上がって乗り回しているのでしょうね。 ブルーノじいさんがビックマウスでない証拠のために、モト・モリーニのお勉強です。 1898年1月22日に生まれたアルフォンソ・モリーニは、オートバイ修理業を経て、16歳の時に自分の店を持ちます。1925年、アルフォンソの腕を見込んだマリオ・マゼッティは、単気筒125ccエンジンの製造・設計・オートバイ製造担当そしてレーサーとして彼を迎え入れ、ふたりのMMブランド・オートバイは、アルフォンソのテクニックもあってレースで成功を収めました。1927年のモンツァでMM125は6つの世界記録を樹立し、これは後20年間破られなかった。また1933年には、175ccバイクで当時の最高速度162 km/hを樹立した。しかしWW-Ⅱ時の1943年に工場は爆撃を受け損傷し製造はストップしたままになるのです。 1946年、モト・モリーニは復活を果たします。ボローニャ・ベルティ通りの新工場は三段トランスミッション付き2ストローク単気筒エンジンを搭載したオートバイT125を世に送り出し、さらに1947年にはスポーツ・バージョンを発表した(ブルーノじいさん、これ?)。1948年、モト・モリーニに乗るラファエル・アルベッティはイタリア選手権125ccクラス・チャンピオンに輝き、翌年ウンベルト・マゼッティが操る125cc4ストロークSOHCエンジン搭載のマシンは12bhp/10000rpm・最高速度140 km/hを誇り、連覇を成し遂げたのです。モト・モリーニは1949年からロードレース世界選手権125ccクラスにも出場しており、1952年にイタリアGPで初優勝、続くスペインGPでも連勝しました。 1956年、モト・モリーニはベルガミ通りに移転し、工場の規模を拡大した。1958年にアルフォンソはDante Lambertini、Nerio BiavatiとともにDOHCエンジンのGP250マシンを製作、これは同年のイタリアGPで一周目からトップを守り優勝を遂げた。このマシンは37bhp/11000rpm・最高速度225km/hを誇りモト・モリーニを駆って栄光を掴んだライダーは多いのです。 今年の1月から長年ガイド活動をしてきた、わが育ちのまち「亀川温泉」の龜カメ倶楽部(かめかめくらぶ)の公式ブログを立ち上げました。http://kamekame10.exblog.jp/このまちには色々な記憶が格納されています。 同時期のガイドを始めた「別府温泉」の竹瓦路地裏散策や山の手レトロ散歩 http://www.beppu-navi.jp/kataribe/index.htmlよりアットホームなクラブ雰囲気なので丸出し状態度数(笑)が高いと思います。 幼い頃の体験談などをお客様にお話しできるエリアなのです。例えば競輪場前から新川までの一直線の幅広道路は海軍の滑走路として作られたのです。 ええ...さすがにゼロ式戦闘機で離着陸した経験も見た記憶も当然ございません(爆)!しかし亡き父はパイロットなのでした(post-warですけど..)。 何の変哲もないモルタルリシン吹付けの平屋のお母さん(母屋)に子供が二人くっ付いています。木造の増築部分は「木男:もくお」と申します。それに連結(手をつないでいる)されているのが妹の「トタ子:とたこ」と申します。木男は渋いです。「お母さん」より古臭さを醸します。欄間部分のリボンウインドが建築的です。。板張りの外壁と基礎がCB積み上げレンガ押えが痛々しくも弱々しく...シビレます(笑)。 妹のトタ子はそれに寄り添いもっと弱々しく基礎部分は見えません。外観から唯一見てとれる補強材として「物干し竿の半折」が確認されます(爆!)。 凄まじい昭和の兄妹、まるで「昭和枯れススキ」ですね(笑)。しかし1960年代住宅の「お母さん」も今となっては珍しくなりました。この光景はいつまで続くのでしょうか?夕暮れの散歩道に今も佇みます。 皆さん、風景を何気なく見ていると音楽と連動するケースがありませんか?さて、このリペイントされたトタニズム物件は地味ですが何だか絵画チックなイメージがあります。この時の天候は悪くはないのですが雲の部分が空を一時的に支配しそうな...北アイルランドのような厳しい自然の中にいるような感じの夕方だったと思います(ワレナガラ、ナンカイナヒョウゲンデ、スミマセン)。ちょうどその時は夕方の散歩中でipodにてMarc Copland:マーク・コープランドの"My Favorite Things 1 :マイ フェイバリット シングス 1" http://musicaenespiral.blogspot.com/2009/08/marc-copland-trio-haunted-heart-other.htmlを聞いていたのですが、曲とその風景(トタンと自然界)の雰囲気が接続され、イメージリンク現象を起こしてしまいました。そうです。端的に言えば軽いトリップ現象を起こしてしまったのでした。それは心地よいというものではなく不思議な世界に迷い込んだ感じでした。そしてトタンとミュージックのコラボレーションアートの瞬間でもあったのでした。 場所はhttp://bronze8020.exblog.jp/7181762/の下段左画像の左側奥に、このトタニズムはあります。さて熱心な読書の皆さん、下段右画像にトタニズム#32が写っているのがお分かりですか? *マーク・コープランドは巨匠ビル・エヴァンスのシンプル版ジャズピアニスト?このCDは2001年のトリオ作でスローテンポにて静かな低温演奏?ジャズ好きでなくても、とても聴き易く聴けば聴くほど味がジンワリでてくるお勧め盤です。やっぱり一曲目の"My Favorite Things 1"が、現実ではない世界に連れて行ってくれそうで好きです(笑)。
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